「すべては子どもたちのために」――僕が政治を志した、本当の理由
はい✋️『わたなべ竜二』です。
いつもはこの挨拶のあとに、絵文字をつけて、明るく書き始めます。でも今日だけは、少しだけトーンを落として書かせてください。
今日は、僕がこれまであまり詳しく語ってこなかった話をします。
僕の政治信条は「すべては子どもたちのために」です。街頭でも、議会でも、名刺にも、僕はこの言葉を掲げています。聞こえのいいスローガンだと思われるかもしれません。政治家なら誰でも言いそうな言葉だと。
でも、僕にとってこの言葉は、スローガンではありません。
この言葉の裏には、一本の電話があります。眠れない夜の病院の廊下があります。売店にすら行けない妻の姿があります。点滴の管を小さな手で握りしめて泣く、僕の息子がいます。
長い文章になります。でも、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
これは、僕の家族の話であり、同時に、この国のどこかで今夜も病院のベッドの横で眠れずにいる、すべての親たちの話だからです。
退院の日に鳴った、一本の電話
息子が生まれた日のことを、今でも鮮明に覚えています。
埼玉県内の産科で、息子は元気な産声を上げました。母子ともに健康。何の問題もない、ごく普通のお産でした。妻の腕の中で眠る小さな顔を見ながら、僕は「この子のためなら何でもできる」と、ありきたりだけれど、心の底からそう思いました。
数日後、退院の日。
チャイルドシートに小さな身体を乗せて、壊れ物を運ぶようにゆっくり車を走らせて、家に帰ってきました。「おかえり」と「はじめまして」が混ざったような、不思議で幸せな時間。上の子も、新しい家族の到着に大はしゃぎでした。
これからこの家で、この子の人生が始まる。
そう思っていた、まさにその日の午後でした。
一本の電話が鳴りました。
埼玉県立小児医療センターからでした。
「今日、今すぐ、お子さんを連れてきてください。そのまま入院になります」
最初、何を言われているのか分かりませんでした。今日? 今すぐ? 入院? うちの子は今朝、産科を「健康です」と送り出されたばかりなのに?
電話口の説明を聞きながら、頭の中が真っ白になっていくのが分かりました。新生児のスクリーニング検査で、ある数値に異常が見つかったこと。放置すれば命に関わる可能性があること。だから一刻も早く、専門の医療機関で検査と管理が必要であること。
生まれて数日の息子は、その日の夜、家に帰ってきたばかりの布団で眠ることなく、再び車に乗せられ、夜の道を病院へ向かいました。
行きの車内のことは、正直あまり覚えていません。ただ、後部座席で息子を抱く妻が、ずっと無言だったことだけは覚えています。
その夜から、息子の長期入院が始まりました。
26万分の1
息子の病名は、CPT2欠損症(カルニチンパルミトイルトランスフェラーゼ2欠損症)といいます。
聞いたことがある方は、ほとんどいないと思います。当然です。発症する確率は、およそ26万分の1。日本中を探しても、同じ病気の子はわずかしかいない、極めて稀な先天性の代謝異常症です。
簡単に説明すると、こういう病気です。
人間の身体は、普段は糖分(ブドウ糖)をエネルギーにして動いています。でも、糖分が足りなくなったとき――たとえば長時間食事が摂れないときや、発熱して大量のエネルギーを消費するとき――身体は「脂肪」を燃やしてエネルギーを作り出します。いわば身体の予備バッテリーです。
CPT2欠損症の子は、この「脂肪をエネルギーに変える」ための酵素がうまく働きません。
つまり、予備バッテリーが使えないのです。
普段、ちゃんと食事が摂れている間は、ほとんど健康な子と変わりません。走り回るし、笑うし、泣くし、ごはんもよく食べます。見た目では絶対に分かりません。
でも、ひとたび熱を出したら。風邪をひいて食事が摂れなくなったら。
健康な子なら「一晩寝れば治るね」で済む発熱が、息子にとっては命に関わる事態になり得ます。エネルギーが作れなくなった身体は、低血糖を起こし、最悪の場合、意識障害や、筋肉が溶け出す合併症にまで至る可能性がある。
だから、息子が熱を出したら、様子見は許されません。すぐに病院へ行き、ブドウ糖の点滴でエネルギーを直接補給する。それが息子の命を守る、唯一の方法です。
26万分の1。
宝くじの高額当選より、はるかに低い確率です。その確率を、僕の息子は引きました。
「なんでうちの子が」と思わなかったと言えば、嘘になります。何度も思いました。検査結果の紙を見つめながら、夜中にスマホで病名を検索しては、出てくる情報の少なさに愕然としながら、何度も何度も思いました。
でも、あるとき気づいたんです。
「なんでうちの子が」の答えは、どこにもない。
あるのは「うちの子がこの病気と生きていく」という事実だけ。だったら親である僕たちがやるべきことは、嘆くことじゃなくて、この子が生きやすい環境を、一つひとつ作っていくことだ、と。
今思えば、この瞬間がたぶん、僕の人生の分岐点でした。
病院と家を往復した、半年間
息子の入院生活は、長期にわたりました。
生まれたばかりの赤ちゃんです。母乳やミルクの管理、血糖値の管理、投薬の調整。一つひとつ、慎重に慎重を重ねて進めていく日々。
そして、ここからが、多くの人が知らない「付き添い入院」の現実です。
小さな子どもの入院には、親の付き添いが必要になります。うちの場合は、妻が病院に泊まり込みで付き添いました。
僕の毎日は、こうでした。
朝、上の子の世話をして、送り出す。妻を病院へ送る。仕事を……しようとするけれど、ほとんど手につかない。夕方、病院へ妻を迎えに行くか、交代して僕が病室に入る。夜、家のことをして、明日の準備をして、倒れるように眠る。
その繰り返しです。
僕は当時、会社を経営していました。経営者というのは、聞こえはいいですが、要は「自分が動かなければ仕事が止まる」立場です。サラリーマンのような看護休暇もなければ、有給休暇もありません。
息子の入院中、僕はまともに仕事ができない期間が、半年ほど続きました。
収入は減ります。でも、支出は増えます。病院までの往復のガソリン代、駐車場代、外食が増える食費、上の子のための出費。家計は確実に、じわじわと削られていきました。
それでも僕は、まだ恵まれていた方だと思います。経営者だったから、誰かに頭を下げて休みをもらう必要はなかった。時間の融通だけは、自分で決められた。
これがもし、休みの取りにくい職場で働く父親だったら? シングルマザーだったら? 近くに頼れる親族がいない家庭だったら?
考えるだけで、ぞっとします。
そして実際、病院で出会った親たちの中には、まさにそういう状況で、ぎりぎりの綱渡りをしている人たちが、たくさんいました。
僕は、会社をたたみました
そして、もうひとつ。これまであまり語ってこなかったことを、書きます。
僕は、会社をたたみました。
息子の病気と向き合う日々のさなか、世の中はコロナ禍に突入していました。経済が止まり、仕事が止まり、先の見えない状況。そこに、いつ鳴るか分からない病院からの電話、突然始まる入院、付き添い、家のこと。
経営者として会社を守ることと、父親として家族を守ること。
その両方を全力でやろうとして、どちらも中途半端になりかけていることに、あるとき気づきました。深夜、資金繰りの計算をしながら、ふと手が止まったんです。「僕は今、何のために働いているんだっけ」と。
家族のためです。子どもたちのためです。それ以外に、答えはありませんでした。
だったら、優先順位は決まっている。
積み上げてきたものを手放すのは、正直、悔しかった。眠れない夜もありました。経営者にとって会社は、自分の分身のようなものです。それを自分の手で閉じる決断は、簡単な言葉では言い表せません。
でも、不思議と後悔はありませんでした。
僕が守るべきものの一番上に、息子の命と、家族の暮らしがある。その順番を間違えなかったことだけは、今でも自分を褒めてやりたいと思っています。
そしてこの経験は、僕に大切なことを教えてくれました。
子どもの病気は、親の「時間」を奪うだけじゃない。「仕事」を、「収入」を、ときには「キャリアそのもの」を奪うことがある。看病のために退職する親、昇進を諦める親、廃業する親。統計には表れにくいけれど、確かに存在する喪失です。
僕はそれを、身をもって知りました。
「子どもの医療費は無料」――その言葉の、先にあるもの
ここで、はっきり言っておきたいことがあります。
日本の子ども医療費制度は、本当に素晴らしい制度です。
息子の入院費も、検査費も、点滴も、薬も、医療費の自己負担はありません。もしこれがアメリカだったら、我が家はとっくに破産していたでしょう。この国に生まれたことを、この制度を作り、支えてきてくれた先人たちに、僕は心から感謝しています。
だからこれは、制度への文句ではありません。
ただ、現場にいた親として、知ってほしいことがあるのです。
「医療費が無料」と「子どもの病気にお金がかからない」は、まったく別の話だということを。
付き添い入院をすると、まず親のベッドがありません。多くの場合、子どものベッドの横に簡易ベッドを借りるか、子どもと同じベッドで身体を丸めて眠ります。簡易ベッドのレンタルは有料です。
そして、食事。
入院している息子は「患者」ですから、病院食が出ます。月齢に合わせたミルクや離乳食が、きちんと提供されます。
でも、付き添っている妻の食事は、出ません。
当たり前だと思いますか? 妻は患者ではないのだから、と。制度上はその通りです。でも、現実を想像してみてください。
妻は、病室から出られないのです。
相手は赤ちゃんです。少し目を離せば泣きます。泣いて暴れれば、腕に入っている点滴の管が抜けてしまう。実際、何度も抜けかけました。点滴は息子の命綱です。だから、一人にできない。トイレに行くのさえ、看護師さんの手が空くタイミングを見計らって、駆け足で行くような状態です。
病院の売店に、お弁当を買いに行く。
たったそれだけのことが、できないのです。
僕が仕事の合間に食事を届けられる日はいい。でも、届けられない日、妻は買い置きのカロリーバーやパンで食いつないでいました。息子には栄養管理された食事が運ばれてくる横で、母親は袋入りのパンをかじっている。
その光景を、僕は忘れることができません。
付き添いの親の食事代、簡易ベッド代、コインランドリー代、交通費。一回の入院で、数万円単位のお金が、静かに、確実に、家計から消えていきます。
そして何より、お金に換算できないものが削られていきます。親の睡眠、体力、心の余裕。付き添い入院を経験した親なら、誰もが頷いてくれるはずです。あれは、心身ともに、本当にきつい。
子どもの医療費無償化という、光の当たる立派な制度。その制度の影に、誰にも気づかれずに座り込んでいる親たちがいる。
僕はそのことを、当事者になって初めて知りました。
退院、そして「熱が出たら即入院」の日々
半年に及んだ入院生活を経て、息子はようやく退院しました。
家族全員がそろって食卓を囲んだ日の夕飯の味を、僕は一生忘れないと思います。特別なごちそうじゃない、いつもの普通のごはんでした。でも、あんなに美味しい食事は、後にも先にもありません。
息子は今、普通の生活を送っています。よく食べ、よく笑い、よく遊ぶ、元気な子です。道ですれ違っても、誰もこの子が難病を抱えているとは思わないでしょう。
でも、僕たち家族の「日常」には、一つだけ、他の家庭と違うルールがあります。
熱が出たら、即、入院。
様子見はなし。市販の解熱剤で一晩過ごす、もなし。熱が出たその足で病院へ行き、点滴につながれる。それが息子の命を守るための、絶対のルールです。
子どもというのは、熱を出す生き物です。保育園や学校に通っていれば、風邪も、感染症も、もらってきます。きょうだいがいれば、なおさらです。
結果、息子は年に4回ほど、入院します。
年4回です。皆さん、想像してみてください。3ヶ月に1回、家族の誰かが数日間、家からいなくなる生活を。そのたびに妻が病院に泊まり込み、僕が家のことと仕事を一人で回し、上の子が「またか」という顔をしながらも我慢してくれる生活を。
そのたびに、付き添いの費用がかかります。そのたびに、仕事の予定が吹き飛びます。そのたびに、家族全員の生活が、ぐらりと揺れます。
それでも僕たちは、この生活を「不幸」だとは思っていません。
息子は生きています。笑っています。新生児スクリーニングという仕組みが息子の病気を発見してくれて、埼玉県立小児医療センターという素晴らしい病院が、息子の命を何度も守ってくれています。医師、看護師、検査技師、すべての医療従事者の皆さんに、感謝してもしきれません。
ただ、この生活を続ける中で、僕の中にひとつの問いが、どんどん大きくなっていきました。
「この大変さは、個人の頑張りだけで背負うべきものなのか?」
熱が出るたびに仕事を投げ出せる親ばかりじゃない。付き添いの出費に耐えられる家計ばかりじゃない。「すみません、すみません」と職場に頭を下げ続けられる心の強さを、すべての親に求めていいのか。
子どもの病気は、誰のせいでもありません。26万分の1は、どの家庭にも降りかかり得た確率です。たまたま、うちに降りかかっただけ。
だったら、その負担を家庭の自己責任に閉じ込めるのではなく、社会全体で少しずつ分かち合う仕組みがあっていいはずだ。
いや、なければいけない。
その思いが、僕を政治の道へ押し出しました。
玄関には、いつも「入院バッグ」がある
我が家の玄関には、いつもバッグがひとつ置いてあります。
中身は、息子の着替え、おむつ、お気に入りのおもちゃ、保険証や受給者証のコピー、妻の着替えと洗面用具、充電器、そしてすぐ食べられる買い置きの食料。
そう、「入院バッグ」です。
息子はいつ熱を出すか分かりません。熱が出たら、即入院。だから僕たちは、いつでも10分で家を出られるように、常に荷物をまとめてあります。旅行バッグではなく、入院バッグが常備されている家。それが、我が家の日常です。
夜中に息子の身体が熱いことに気づいたときの、あの独特の緊張感は、何度経験しても慣れません。額に手を当てる。体温計の数字を見る。妻と目を合わせる。言葉はいりません。妻がバッグを掴み、僕が車のキーを取る。そこからは、もう何度も繰り返してきた手順です。
そして、ここで一番の重みを背負うのは、いつも妻です。
入院が決まれば、そのまま妻の付き添い生活が始まります。狭い簡易ベッドでの浅い眠り。病室から出られない数日間。息子が泣けば抱き、点滴を気にし、看護師さんに頭を下げ、家に残した子どもたちのことを心配しながら、それでも息子の前では笑顔でいる。
僕は政治の場で「付き添い入院の負担」を語ります。でも、その負担を実際に身体で引き受けてきたのは、僕ではなく妻です。
この記事を書くにあたって、どうしてもこれだけは記しておきたかった。
僕の「すべては子どもたちのために」という言葉は、妻の積み重ねてきた無数の夜の上に立っています。世の中の付き添い入院の多くが、母親たちの献身によって、見えないところで支えられている。その事実に、社会はもっと光を当てるべきだと、僕は思います。
ありがとう。この場を借りて、伝えさせてください。
深夜の病室で、考えていたこと
入院中、妻と交代して、僕が病室に泊まる夜もありました。
小児病棟の夜は、静かなようで、静かじゃありません。どこかの病室で赤ちゃんが泣く声。ナースコールの音。廊下を急ぐ看護師さんの足音。モニターの電子音。
薄暗い病室で、点滴につながれた息子の寝顔を見ながら、僕は何度も考えました。
この子は、自分の腕に刺さっている管の意味を知りません。なぜ自分がここにいるのかも、26万分の1という数字も、何も知りません。ただ、目が覚めて、知らない天井で、痛い思いをして、泣くことしかできない。
そして泣いて暴れるたびに、命綱の点滴が抜けかける。だから僕たちは、小さな手を握って、抜けないように、ずっとそばにいる。
ふと、息子が眠ったまま、僕の指をぎゅっと握りました。
赤ちゃんの握る力って、驚くほど強いんです。こんなに小さいのに、こんなに必死に、生きようとしている。
その小さな手の力を感じながら、僕は心の中で約束しました。
お前が大人になる頃には、もう少しましな世の中にしておくから。
病気の子を抱えた親が、仕事を失わなくて済む世の中に。付き添いの母親が、パンをかじりながら夜を明かさなくて済む世の中に。「すみません」と謝りながら子どもの看病をしなくて済む世の中に。
誰に言われたわけでもありません。でもあの夜、薄暗い病室で息子に握られた指の感触が、僕の原点になりました。
父子家庭で育った僕が、親になって
少しだけ、僕自身の子ども時代の話をさせてください。
僕は、父子家庭で育ちました。
父は、男手ひとつで僕を育ててくれました。朝早くから夜遅くまで働く父の背中を見て、僕は育ちました。
子どもだった僕は、子どもなりに、いろんなことを我慢していたと思います。寂しいと言えば父が困る。欲しいと言えば父が無理をする。だから言わない。子どもというのは、大人が思っているよりずっと、家の空気を読んで、自分の気持ちを飲み込むものです。
当時の僕は、それを当たり前だと思っていました。
でも、大人になって、親になって、分かったことがあります。
子どもは、生まれてくる家庭を選べない。
父子家庭に生まれるか、母子家庭に生まれるか、両親のそろった家に生まれるか。裕福な家か、そうでない家か。健康な身体で生まれるか、26万分の1の病気を持って生まれるか。
何ひとつ、子どもは選べないんです。
僕は家庭環境を選べない子どもでした。僕の息子は、身体の条件を選べない子どもです。形は違うけれど、本質は同じです。子どもは、自分ではどうにもできない条件を背負って、それでも毎日を懸命に生きている。
だったら、大人の仕事は決まっています。
子どもが選べなかったものを、子どものハンデにしない社会を作ること。
どんな家に生まれても、どんな身体で生まれても、すべての子どもが安心して育っていける。そのための仕組みを作るのが、大人の、そして政治の責任です。
父子家庭で育った少年だった僕と、難病の息子の父になった僕。ふたりの僕が、同じ一つの結論を指さしていました。
政治を志した日
会社をたたみ、息子の病気と向き合い、これからの人生をゼロから考え直したとき、僕の頭に浮かんだのは、病院で出会った親たちの顔でした。
付き添いベッドで身体を丸めて眠る母親たち。面会時間の終わりに、後ろ髪を引かれながらエレベーターに乗り込む父親たち。「うちも、もう何回目の入院か分からなくて」と力なく笑い合った、名前も知らない誰か。
あの人たちの声は、どこに届いているんだろう?
子ども医療費の無償化のような大きな制度は、たくさんの人が声を上げたから実現しました。でも、付き添い入院の親の食事や寝床のような「小さな」課題は、当事者が少なく、声が小さく、しかも当事者は看病で精一杯で声を上げる余力すらない。
制度の隙間は、声の届かない場所にできる。
なら、誰かがその声を拾って、届く場所まで運ばなければいけない。
気がつけば僕は、その「誰か」に自分がなれないか、と考えるようになっていました。
幸い、僕にはシステムエンジニアとしての経験と、経営者としての経験がありました。仕組みを作ること、課題を分解して解決すること、限られた資源で結果を出すこと。それは政治の世界でこそ活きるはずだと思いました。
そして僕は、家族と暮らすこの朝霞市で市議会議員選挙に挑戦し、議席をお預かりすることになりました。
掲げた言葉は、最初から決まっていました。
「すべては子どもたちのために」
あの夜、病室で息子と交わした約束。父子家庭で育った僕自身への答え。病院で出会ったすべての親たちへの誓い。その全部を、この一言に込めました。
議員になって、見えてきたこと
議員になって、あらためて分かったことがあります。
行政の人たちは、サボっているわけではありません。むしろ、限られた予算と人員の中で、本当に一生懸命やってくれています。
それでも制度に隙間ができるのは、「知られていない困りごと」は、政策にならないからです。
付き添い入院の現実を、体験したことのない人が想像するのは難しい。年4回入院する子どもの家庭の家計を、資料の数字だけで実感するのは難しい。だからこそ、当事者の経験を持つ人間が議場にいる意味があると、僕は信じています。
うれしい変化もあります。近年、付き添い入院の環境改善を求める声は、当事者団体の皆さんの努力で少しずつ社会に届き始め、国でも光が当たり始めています。声が集まれば、制度は動く。僕はそれを、希望だと思っています。
一方で、市議会の現場で僕が向き合う課題は、医療だけではありません。学校のこと、防災のこと、まちの財政のこと。一見、息子の病気とは関係なさそうなテーマばかりに見えるかもしれません。
でも、僕の中では全部つながっています。
学校が安心できる場所であること。災害から子どもの命を守れるまちであること。財政が健全で、将来世代にツケを回さないまちであること。全部、「子どもたちのために」の一部です。
判断に迷ったとき、僕はいつも同じ問いに立ち返ります。
「それは、子どもたちのためになるか?」
この問いがある限り、僕は道を間違えないと思っています。
同じ夜を過ごしている、あなたへ
この記事を、もしかしたら今、病院の付き添いベッドの上で読んでいる方がいるかもしれません。
子どもの寝息を確かめながら、点滴の残量を気にしながら、眠れない夜にスマホの画面を眺めている、お父さん、お母さん。
伝えたいことがあります。
あなたは、十分すぎるほど頑張っています。
売店に行けない夜も、冷めたパンをかじった夜も、職場に頭を下げた朝も、上の子に我慢させてしまったと自分を責めた帰り道も。全部、知っています。僕たち家族も、同じ道を歩いてきました。
そして、もうひとつ。
その大変さは、あなたの自己責任なんかじゃありません。
子どもの病気は、誰のせいでもない。確率は、どの家庭にも平等に降りかかり得たものです。だから、その負担を家庭だけで抱え込ませている現状のほうが、変わるべきなんです。
あなたが声を上げられないなら、僕が代わりに上げます。あなたの夜を、僕は議場に運びます。
それから、これは同じ道を歩いてきた先輩としてのお願いですが、どうかひとりで抱え込まないでください。病院には医療相談室があります。自治体には窓口があります。同じ病気の子を持つ家族会もあります。僕たち夫婦も、たくさんの人に頼り、たくさんの制度に助けられて、ここまで来ました。「頼ること」は、弱さではありません。子どもを守るための、立派な戦い方のひとつです。
それが、当事者として政治の場に立つ、僕の役割だと思っています。
どうか、今夜だけでも、少しでも眠れますように。
おわりに――小さな手と、約束
息子は今日も元気です。
ごはんをもりもり食べて、きょうだいとけんかして、笑って、走り回っています。すれ違う人は誰も、この子が26万分の1の病気と生きているなんて思わないでしょう。
でも僕たち家族は知っています。この「普通の毎日」が、どれだけ多くの人に支えられた、奇跡みたいな日々であるかを。
新生児スクリーニングという仕組みを作ってくれた人たち。あの日、電話をくれた埼玉県立小児医療センターの先生。何度もの入院を支えてくれた看護師の皆さん。子ども医療費を無償にしてくれた、この国の制度。そして、誰よりも、付き添いの夜を積み重ねてきた妻。
たくさんの手が、息子の命をつないでくれました。
今度は、僕の番です。
僕がもらったものを、次の子どもたちに返していく。息子と同じように病気と闘う子に。かつての僕と同じように、家庭の事情を背負って我慢している子に。このまちで生まれてくる、すべての子どもたちに。
熱が出れば、息子はまた入院するでしょう。年に4回、僕たちの日常はこれからも揺れ続けるでしょう。それでも僕たちは、そのたびに病院へ走り、そのたびに退院して、また家族そろって食卓を囲みます。
あの、世界一おいしい「普通のごはん」を食べるために。
そして僕は、明日も議場に立ちます。
あの夜、小さな手に握られた指の感触を、忘れないために。
すべては子どもたちのために。
この言葉は、僕の政策のスローガンである前に、ひとりの父親の、生涯をかけた約束です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
わたなべ竜二