幸せって何だろう――AIに「考えること」を渡した朝に気づいたこと
以前、「『残る仕事』なんてない」という記事を書いた。
AIの進化によって、すべての職業が代替される。馬車の御者が消えたように、ホワイトカラーも、クリエイターも、専門職も、例外なく。楽観も悲観もなく、ただそれは起きる、という内容だった。
あの記事を書いたとき、僕は「恐怖」を書いたつもりはなかった。でも読んでくれた人の中には、不安になった人もいたと思う。「じゃあ自分の仕事はどうなるのか」「子どもたちの将来は」と。
今日は続きを書こうと思う。
ただし今回は、恐怖の話ではない。
幸せの話だ。
ある朝、ふと思った
今朝、妻がパートに出かけた。子どもたちは小学校と保育園に行った。
家にひとり残された僕は、AIと仕事をしながら、ふと思った。
「幸せだな」
なぜそう感じたのか、しばらく考えた。特別なことは何もない。いつもの朝だ。宝くじが当たったわけでも、大きな契約が取れたわけでも、誰かに褒められたわけでもない。
でも確かに、幸せだと感じた。
しばらくして、理由がわかった。
コードを書いていないからだ。
僕はもともとプログラマーだ。システムエンジニアとして20年近く、コードを書いてきた。それが今日は、一行も書いていない。なのに仕事が進んでいる。AIが書いてくれているからだ。
考えなくていい。手を動かさなくていい。ただ、何を作りたいかを伝えるだけでいい。
その瞬間、気づいた。
これが、人類が何千年もかけて目指してきたものじゃないか、と。
労働とは何だったのか
人間はずっと、楽をしようとしてきた。
火を起こす手間を省くためにライターを作り、遠くへ行く労苦を省くために乗り物を作り、計算の手間を省くためにコンピューターを作った。農業の効率を上げるために機械を入れ、工場の生産性を上げるためにロボットを入れた。
すべての技術革新の動機は、つまるところ「楽をしたい」だったのではないか。
そう考えると、AIは人類の夢の到達点に近い。肉体労働だけでなく、知的労働すらも代替してくれる。考える必要がなくなる。
「でも、考えることこそが人間らしさじゃないか」という反論があるのはわかっている。
ただ正直に言えば、毎日締め切りに追われ、クライアントの要求に頭を悩ませ、コードのバグを深夜まで追い続ける——それが「人間らしさ」だとしたら、ずいぶんと苦しい人間らしさだと思う。
楽になっていい。それは怠惰ではなく、進化だ。
プログラマーだったから、早かっただけ
ここで正直に書かなければいけないことがある。
今朝の「幸せ」を感じられたのは、僕がたまたまプログラマーだったからだ。
AIというツールを、早い段階から道具として使いこなせた。コードが書けるから、自分でシステムを組める。だからAIを最大限に活用できる環境を、自分で作れた。
でもこれは、僕が特別だったわけじゃない。
スタート地点が違っただけだ。
たとえばエクセルが世に出たとき、最初に恩恵を受けたのはコンピューターを触れた人たちだった。インターネットが普及したとき、最初に恩恵を受けたのはパソコンを持っていた人たちだった。スマートフォンが出たとき、最初に恩恵を受けたのはデジタルリテラシーのある人たちだった。
でも今、エクセルもインターネットもスマートフォンも、誰でも使っている。
AIも同じだ。今は「プログラマーだった人」「テック系の人」が先に恩恵を受けているように見える。でもそれは一時的なことだ。
数年後には、すべての人がこの「幸せ」を享受できるようになる。
そのことを、もっと多くの人に知ってほしい。
「考えなくていい」は、退化じゃない
「AIに頼ると、人間がバカになる」という意見をよく聞く。
電卓が出たとき、「暗算ができなくなる」と言われた。カーナビが出たとき、「地図が読めなくなる」と言われた。検索エンジンが出たとき、「記憶力が落ちる」と言われた。
でも、電卓がない時代に戻りたいか?
暗算の時間を節約して、その時間で別のことを考えられるようになった。それは退化じゃなく、解放だ。
AIも同じだと思う。
コードを書かなくていいなら、何を作るかを考える時間が増える。メールの文章を考えなくていいなら、誰に何を伝えるかを考える時間が増える。報告書を作らなくていいなら、報告書に書かれていない現実と向き合う時間が増える。
「考えること」から解放されるのではなく、「本当に考えるべきこと」だけに集中できるようになる。
それは知性の退化ではなく、知性の深化だと僕は思っている。
幸せの構造
もう少し踏み込んで、「幸せ」とは何かを考えてみたい。
心理学の研究では、人間の幸福感は「自律性」「有能感」「関係性」の三つに大きく影響されると言われている。
自分で決められること。自分が役に立っていること。誰かとつながっていること。
この三つが満たされているとき、人間は幸せを感じやすい。
面白いのは、AIが普及することで、この三つすべてが強化される可能性があることだ。
自律性について言えば——AIのおかげで、大企業に依存しなくても、個人で事業を動かせるようになる。僕自身、市議会議員をしながら複数のSaaSサービスを開発しているが、それができるのはAIが多くの作業を肩代わりしてくれるからだ。一人でできることの範囲が、劇的に広がった。自分で決められることが増えた。
有能感について言えば——AIを使えば、以前は専門家にしかできなかったことが、普通の人にもできるようになる。デザインも、文章も、プログラミングも、法律の調査も。自分が「できる」と感じられる場面が増えると、幸福感は上がる。
関係性について言えば——これが一番難しいかもしれない。AIが仕事を肩代わりしてくれることで、人と過ごす時間が増える。仕事の時間が減れば、家族と過ごす時間が増える。地域の活動に参加する時間が増える。人間関係に割ける余裕が生まれる。
今朝の「幸せ」は、まさにこの三つが重なった瞬間だったかもしれない。
前の記事で書けなかったこと
「残る仕事なんてない」を書いたとき、意図的に書かなかったことがある。
「じゃあどうすればいいのか」という答えを、あの記事では出さなかった。出せなかった、という方が正確かもしれない。
仕事がなくなった後の社会をどう設計するか——それは本当に難しい問いで、簡単な答えなんてない。ベーシックインカムが一つの入口だとは書いたが、それはあくまで入口であって、その先の「人間が何に意味を見出すか」という問いには答えなかった。
でも今日、少し答えが見えた気がする。
意味は、「やらなければならないこと」ではなく、「やりたいこと」の中にある。
仕事がなくなった社会というのは、言い換えれば「やらなければならないことがなくなった社会」だ。生きるために働く必要がなくなる。食べるために頭を下げる必要がなくなる。
そのとき人間は初めて、純粋に「やりたいこと」だけを選べるようになる。
それはとても怖い自由だと思う。「何をすればいいのかわからない」という人も多いだろう。長年、やらなければならないことに追われてきた人ほど、そうかもしれない。
でも同時に、それは人類史上初めてのことでもある。
すべての人間が、やりたいことだけをやっていい世界。
その世界を「幸せ」と感じるかどうかは、結局のところ、今のうちから「自分は何がやりたいのか」を考えておけるかどうかにかかっているのかもしれない。
誰もが享受できる世界のために
この幸せを、僕だけが感じているのは、もったいない。
プログラマーだった人間が先に気づいただけで、この感覚は誰にでも開かれているはずだ。
ただ、現実には壁がある。
スキルの壁——AIを使いこなすには、まだ一定のリテラシーが必要だ。プロンプトをどう書けばいいか、どのツールを使えばいいか、わからない人は多い。
心理的な壁——「AIに頼るのは楽しすぎる」「こんなに楽でいいのか」という罪悪感を持つ人もいる。長年、「苦労することに価値がある」と教わってきたからだ。
制度の壁——日本の職場では、まだAIの活用が十分に進んでいない。個人がいくら使いたくても、組織の文化や制度が追いつかない。
この壁を一つ一つ取り除いていくことが、政治の仕事だと思っている。
僕が市議会議員としてDXを訴えるのも、AI活用を推進するのも、根っこにあるのはこの思いだ。すべての人が、今朝の僕が感じた「幸せ」を享受できる社会を作りたい、という思いだ。
技術は、すでにそこにある。あとは、使える環境を整えるだけだ。
幸せって、実はシンプルだった
話を最初に戻そう。
今朝、僕が感じた幸せは、何か特別なことから来ていたわけじゃない。
妻がパートに行って、子どもたちが学校に行って、静かになった家の中で、AIと仕事をしながら、コードを一行も書かずに物事が進んでいく——それだけのことだ。
でも考えてみると、これはほんの数年前には不可能だったことだ。
コードを書かずにシステムが作れる。考えずに文章が生まれる。調べずに情報が集まる。
人類が長い時間をかけて積み上げてきた技術の恩恵が、今この瞬間、僕一人の「楽」につながっている。
それはなんというか、感謝に近い気持ちだった。
幸せって、実はシンプルなのかもしれない。
やらなければならないことが減ること。やりたいことに集中できること。家族が元気でいること。
それだけで、十分なのかもしれない。
最後に
「残る仕事なんてない」を読んで、不安になった方がいたなら、今日の記事で少し気持ちが楽になってくれたら嬉しい。
あの記事で言いたかったのは、「仕事を失う恐怖」じゃなかった。
「仕事から解放される希望」だった。
伝え方が足りなかったかもしれない。今日はその続きとして、それをちゃんと書きたかった。
AIが仕事を奪う時代は、同時に、人間が本当の意味で自由になれる時代でもある。
その自由を、怖れるのではなく、楽しみにしてほしい。
そのために今できることは、ただ一つ。
「自分は何がやりたいのか」を、今日から考え始めることだ。
答えはすぐには出なくていい。でも問い続けることが、来るべき時代への最良の準備になると、僕は思っている。
渡部竜二
** 朝霞市議会議員 わたなべ竜二 | 国民民主党 埼玉県朝霞市 ** * 国民民主党所属・朝霞市議会議員わたなべ竜二(渡部竜二)の公式サイト。朝霞駅・朝霞台駅・北朝霞駅エリアを中心に、朝霞市をもっ * * ryu2-w.jp *
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