「妻がいるから、僕がいる」――僕が立候補をやめなかった、本当の理由
はい✋️『わたなべ竜二』です。
朝の駅前に立っていると、たまに手を振ってくれる方がいます。
急いでいる方がほとんどで、そのまま通り過ぎていきます。それでいいと思っています。
こちらを見もしない人の前でも、僕は喋り続けます。
なぜそんなことをしているのか。
理由は、ひとつの夜と、数か月ぶんの朝にあります。
これは、二本で一つの話の、二本目です。
一本目には、息子の病気のことを書きました。僕が政治を始めた理由の話です。
→ 「すべては子どもたちのために」――僕が政治を志した、本当の理由
あの記事を読んでくださった方は、もしかしたら気づかれたかもしれません。
あの中に、名前を出さないまま、何度も出てくる人がいます。
付き添いの夜を積み重ねた人。売店にすら行けなかった人。
今日は、その人の話をします。
一本目が、僕が政治を始めた理由なら、
今日書くのは、なぜ僕が、まだここに立っていられるのかという話です。
正直に書きます。読み終わったあと、僕のことを少し情けない人間だと思われるかもしれません。
それでもいいと思って、書いています。
その日の朝
立候補者説明会の日でした。
朝はいつも通りでした。
子どもたちを起こして、朝ごはんを食べさせて、支度をさせる。上の子が保育園に行きたくないと言い出して、少し押し問答になる。
妻は台所にいました。
僕が出かける時間になっても、その日のことについては何も言いませんでした。
「行ってらっしゃい」
それだけです。
たぶん、いつもと同じ言い方だったと思います。
僕はそのとき、少しだけ物足りなく感じました。
がんばってね、とでも言ってほしかったのかもしれません。
いま思えば、ずいぶん甘えた話です。
会場
会場に着いて、受付を済ませて、部屋に入りました。
パイプ椅子が並んでいました。前のほうから、順に埋まっていました。
僕は後ろのほうに座りました。
座ってから、なんとなく人数を数えました。
数え終わって、もう一度数えました。
定数より、ずっと多い。倍以上いる。
分かってはいたんです。市議会議員の選挙は、そういうものだと。
でも、頭で知っているのと、目の前に人が並んでいるのを見るのとは、まったく違いました。
周りを見ました。
みなさん、落ち着いて見えました。書類に何か書き込んでいる人がいる。知り合いらしい人と話している人がいる。
僕は、誰とも話しませんでした。
話す相手がいませんでした。
地盤もありません。看板もありません。選挙をやったこともありません。
説明が始まりました。
書類の書き方、提出の期限、供託金の話、選挙運動の決まり。
ひとつも頭に入りませんでした。
僕はずっと、同じことを考えていました。
この中で、僕はいちばん弱い。
帰り道
説明会が終わって、車に乗りました。
すぐにエンジンをかけられませんでした。
しばらく、ハンドルに手を置いたまま座っていました。
走り出してからも、頭の中では計算が続いていました。
半分以上が落ちる。落ちたら、どうするのか。
会社はどうなる。生活はどうする。
子どもが二人いる。下の子には病気がある。熱を出せば、すぐ病院に走らなければならない。そういう家です。
そこに、収入の当てのない挑戦を持ち込むのか。
信号で止まるたびに、やめる理由が一つずつ増えていきました。
いま思えば、あれは考えていたのではありません。
探していたんです。
やめてもいい理由を。
自分を納得させてくれる理由を。
理由が増えるというのは、そういうことです。
家の前
家の前に着いて、車を停めました。
エンジンを切って、しばらく降りられませんでした。
家の中に、灯りがついているのが見えました。
子どもたちはもう寝ている時間です。妻は起きていました。
言おうと思っていました。
説明会に行ってきた。人が多かった。無理だと思う。やめようと思う、と。
言えば、たぶん妻は「そう」と言うだろうと思っていました。
うちには小さい子が二人いて、下の子には病気がある。そんな状況で、勝てる見込みのない選挙に出るなんて、普通に考えれば無謀です。
妻は、僕の背中を押さないだろう。
そう思っていました。
そして正直に言えば、そう思っていたからこそ、言おうとしていたんです。
止めてもらえば、やめられる。
自分で決めなくて済む。
車を降りて、玄関を開けました。
「やめようと思う」
妻はリビングにいました。
子どもたちの上着をたたんでいたか、そんなことをしていたと思います。
「おかえり」
「ただいま」
それから、少し間があきました。
僕は座って、こう言いました。
「やめようと思う」
説明会の話をしました。人数のこと。倍以上いたこと。地盤も何もないこと。
落ちたら生活がどうなるか。子どものこと。息子の病気のこと。
一つずつ、順番に並べていきました。
自分でも、うまく喋れていると思いました。
どれも本当のことでしたから。嘘は一つも言っていません。
話し終わって、妻を見ました。
妻は、僕を見ていました。
そのまま、少し黙りました。
長い沈黙ではなかったと思います。数秒だったかもしれません。
でも僕は、あの数秒のことを、いまでも覚えています。
そして妻は、こう言いました。
「自分の目指すところを、人数が多いからやめるのか」
それだけでした。
そのあと、妻は何も足しませんでした。
大丈夫だよとも、応援してるとも、私が働くからとも、言いませんでした。
説得されませんでした。
慰められませんでした。
ただ、問い返されただけです。
僕は、何も言い返せませんでした。
言い返せる言葉が、一つもなかったからです。
眠れなかった夜
その夜、眠れませんでした。
天井を見ながら、妻の言葉を何度も思い返していました。
そして、自分が今まで何を言ってきたかを思い出していました。
この街を変えたい。
子どもが安心して育つ朝霞にしたい。
病気の子を持つ家が、あんな思いをしなくて済むようにしたい。
僕は、それを何度も口にしていました。人前でも言いました。妻にも、何度も話していました。
その言葉を、僕は、人数を見た日に引っ込めようとしていた。
妻が言ったのは、そういうことでした。
人数が多いからやめるのか、というのは、算数の話ではありません。
お前が言っていたことは、その程度のものだったのか。
そう聞かれたんです。
言葉というのは、一度でも引っ込めると、二度と元の重さに戻りません。
そして、引っ込めた瞬間にいちばん最初にそれを知るのは、聞いていた人ではありません。
言った本人です。
僕は、その先の人生を、自分の言葉を信じられないまま生きることになったはずです。
暗い中で、別のことも思い出していました。
息子が生まれてすぐ、入院することになった夜のことです。
僕は運転しながら泣いていました。
病院に着いてから、何をすればいいのか分からなくて、廊下で突っ立っていました。
妻は、着いた瞬間から動いていました。
荷物を出し、説明を聞き、確認すべきことを確認していく。手が止まらないんです。
あのとき、僕は何もしていません。
そのあとの半年も、付き添いをしたのは妻でした。病室に泊まり込みで、外にも出られず。
僕は毎日面会に行って、毎晩、家に帰って眠っていました。
あの人は、逃げなかった。
一度も、逃げていない。
そういう人に、「人数が多いからやめる」と言ったんです。
僕は。
朝
朝、起きました。
子どもたちが起きてくる前に、台所に立っていた妻に、こう言いました。
「出るよ」
妻は「うん」と言いました。
それだけでした。
前の夜のことには、触れませんでした。
僕も触れませんでした。
その日から、準備が始まりました。
選挙対策本部は、ありませんでした
選挙には、選対というものがあります。選挙対策本部です。
本部長がいて、事務局がいて、地区ごとに担当がいて、電話をかける人がいて、ハガキを書く人がいる。
そういう体制のことです。
うちには、ありませんでした。
一人もいません。
本部長も、事務局長も、運動員も、強いて言えば、全部おなじ人です。
妻です。
これは謙遜でも、貧乏自慢でもありません。
そういう状態で選挙に出たという、ただの事実です。
市役所の、閲覧の席
選挙のとき、候補者は市役所で選挙人名簿を見ることができます。
どこに、どういう方が住んでいらっしゃるか。
ただし、コピーは取れません。写真も撮れません。
見て、手で、書き写すしかありません。
うちの場合、それをやったのは妻です。
市役所に通って、閲覧の席に座って、一行ずつ書き写しました。
何日通ったのか、一日に何時間座っていたのか、僕は知りません。
聞いていないからです。
僕はそのあいだ、外にいました。
外を歩いているほうが、選挙をやっている気分になれるからです。
閲覧の申出をするときは、申出書に自分の名前を書きます。
あの選挙で、妻の名前が公の記録に残った場所は、たぶんそこだけです。
候補者は僕で、書類も僕の名前で出して、ポスターにも僕の顔が載りました。
妻の名前が残ったのは、市役所の、閲覧の申出書。それだけです。
そしてたぶん、窓口で用件を伝えるときには、こう名乗ったはずです。
「渡部の家内です」
自分の名前を書いた紙を出しながら、自分の名前では名乗らない。
そういうことを、何度もさせました。
宛名を書いた手
選挙のときには、候補者が出せるハガキがあります。
法律で枚数が決まっていて、それ以上は出せません。
印刷は頼めます。文面も印刷できます。
でも、宛名は、誰かが書かなければなりません。
うちでは、その全部を、一人が書きました。
一枚ずつ。手で。
途中で手が痛くなったと思います。
どこかで嫌になった夜もあったと思います。
僕は、聞いていません。
そして、僕は一枚も書いていません。
一枚もです。
もし、あのとき「わたなべ竜二」からのハガキを受け取った方が、これを読んでくださっていたら。
あの宛名の字は、僕の字ではありません。
あなたのお名前とご住所を、市役所で書き写して、夜に一枚ずつ書いた人がいます。
僕の家にいる人です。
いまさらですが、ここに書いておきます。
「No選挙カー」
選挙カーを出しませんでした。
かっこいい理由はありません。
お金がなかったからです。
代わりに、自転車に乗りました。
荷台にのぼり旗を一本立てて、市内を走りました。
旗には、こう書きました。
「No選挙カー」
お金がないから出せません、とは書けませんでしたから、そう書きました。
半分は、強がりです。
朝霞は、坂の多い街です。
自転車で全部を回ろうとすると、それがよく分かります。台地の上と、川に向かう谷。上って、下って、また上る。
強がりで始めたことなので、しんどいとは言えませんでした。
ただ、走っているうちに、半分は本気になりました。
名前を連呼して回らなくても、伝えたいことは伝えられるはずだ。
静かな選挙のほうが、たぶん、いい。
いまも、そう思っています。
強がりから始まったことでも、本気になることはあるんだと、あのとき知りました。
できなかったこと
ポスター貼りだけは、業者さんにお願いしました。
市内の掲示板を全部、二人で回りきることは、どうしてもできませんでした。
できなかったことは、できなかったと書いておきます。
そこを格好つけると、ほかの全部が嘘になりますから。
毎朝、僕より先に起きた人
ここからが、いちばん書いておきたいことです。
駅に立ち始めたのは、選挙が始まるずっと前、数か月前からです。
朝は早いです。冬は暗いです。手がかじかみます。
正直に言うと、僕は朝が弱いです。
一人では、たぶん続きませんでした。
毎朝、起こしてもらっていました。
妻に。
数か月間、一日も欠かさずです。
情けない話を、もう少し書きます。
起こされて、すぐに起きた日ばかりではありません。
「あと五分」と言った日があります。
寒い日に、布団から出たくなくて、少し不機嫌になった日もあります。
自分のために誰かが先に起きてくれているのに、その相手に、機嫌の悪い顔を見せていました。
そのとき妻が何を思ったか、僕は知りません。
何も言われませんでしたから。
ただ、次の日も、起こしてくれました。
その次の日も。
これは、つまりこういうことです。
僕が駅に立てた日は、全部、妻が僕より先に起きた日です。
起こす側は、自分が先に起きなければなりません。
そして、起こしたあと、もう一度寝られるわけでもありません。
子どもたちが起きてきます。朝ごはんがあります。保育園の支度があります。
駅で僕を見かけた方は、僕のことを「毎朝早くから偉いね」と思ってくださったかもしれません。
ありがたいことです。
でも、事実は違います。
早起きをしていたのは、妻です。
僕は、起こされていただけです。
政治の世界では、努力の話がよくされます。
誰が何回街頭に立った、誰が何軒回った。
数えられるのは、いつも表に出た人の回数です。
その人を起こした人の回数は、どこにも数えられていません。
二人で立った駅
選挙が始まってからも、駅に立ちました。
うちは二人しかいませんから、二人で立ちました。
反対側の出口に、妻が立ちました。
駅前に立ったことのある方なら分かると思いますが、あれは、けっこうこたえます。
手を振ってもらえる時間より、誰にも見られない時間のほうが、ずっと長いです。
見えているのに、見られていない。
その状態で、じっと立っています。
僕は候補者ですから、耐える理由があります。
自分で決めたことです。
妻には、その理由がありません。
候補者でもないのに、同じ時間、同じ場所に立っていました。
一度も、代わってあげられませんでした。
僕は僕の出口に立たなければならなかったからです。
反対側で妻がどんな顔をしていたのか、僕は、一度も見ていません。
結果が出た夜
その夜のことは、覚えています。
名前が読み上げられて、頭を下げて、握手をして、写真を撮って。
たくさんの方に「おめでとうございます」と言っていただきました。
選対のない選挙だったのに、あの瞬間だけは、周りに人がいました。
政治というのは、そういうところがあります。
いない時間のほうが、ずっと長いんです。
ただ、思い出そうとすると、出てくるのは、僕に向けられた言葉ばかりです。
おめでとうございます。よかったですね。これからですね。
そのとき、妻が何と言ったのか。
思い出せません。
いちばん最初に言葉をもらうべき人の言葉を、僕は覚えていない。
自分の人生が変わった夜に。
それが、僕という人間です。
当選証書には、僕の名前しか書いてありません。
当たり前です。制度がそうなっています。
でも、あの紙が届くまでにやったことを全部書き出したら、名前は一つでは足りません。
逃げ道を塞がれた
よく「奥さんに背中を押されたんですね」と言われます。
違うと思っています。
背中を押されたのではありません。
逃げ道を、塞がれたんです。
あの夜、妻が「そうだね、やめておこう」と言っていたら、僕は間違いなくやめていました。
しかも、ほっとしていたと思います。
自分の意志で諦めたのではなく、家族のために諦めたのだと、そう思い込めたからです。
一生、そう言い続けたと思います。
妻は、その逃げ道を塞ぎました。
僕が用意していた、いちばん都合のいい言い訳を、たった一言で潰しました。
妻がいるから、僕がいます
「なぜ政治家になったんですか」と、よく聞かれます。
息子の病気の話をすると、たいてい納得してもらえます。それは本当のことです。
でも、それは始めた理由です。
いま僕がここに立っている理由は、別にあります。
妻がいるから、僕は政治家でいられる、のではありません。
妻がいるから、僕がいます。
あの夜がなければ、僕は立候補していません。
あの数か月、毎朝起こしてもらえなければ、駅に立ち続けられていません。
宛名を書く人がいなければ、ハガキは一枚も届いていません。
きれいな言い方をしているのではなく、事実として、そうです。
いまも、妻が立っています
議員になってから、家にいる時間は減りました。
夜の会合が増えます。土日は埋まります。急な相談が入れば、そちらを優先します。
減ったのは、家の中の時間だけではありません。
町内会の活動があります。PTAの活動があります。
どちらも、僕が住民として、親として、出るべきものです。
議会や相談と重なって、行けない日があります。
そういうとき、代わりに行っているのは妻です。
僕の名前で立つべき場所に、妻が立っています。
朝霞のどこかで、妻の姿を見たことがある方がいるかもしれません。
たぶんそれは、僕が行けなかった日です。
これは「支えてもらっている」という話ではありません。
僕が選んだ仕事の穴を、妻に埋めさせているという話です。
望んで引き受けたのかどうか、僕は知りません。
聞いたことがないからです。
聞くのが怖いのだと思います。
一度も、弱音を聞いたことがありません
結婚してから今日まで、妻の弱音を聞いたことがありません。
しんどい、と言われたことがありません。
やめてほしい、と言われたこともありません。
僕はそれを、ずっと「強い人だから」だと思ってきました。
最近になって、違うかもしれないと思うようになりました。
言える相手が、いなかっただけかもしれない。
その相手は、本来、僕のはずです。
家にいなかったのは、僕です。
聞かなかったのも、僕です。
名前が出るのは、僕だけです
議員になると、名前が出ます。
広報に載ります。名刺に刷られます。ポスターに貼られます。挨拶をすれば、名前を呼ばれます。
妻の名前は、どこにも出ません。
さっき書いたとおりです。あの選挙で妻の名前が公に残ったのは、市役所の閲覧の申出書だけでした。
でも、見られてはいます。
議員の家族というのは、そういうものです。何かあれば言われます。子どもの様子も見られます。うまくやって当たり前で、褒められることはありません。
得るものは、ほとんどありません。
失うものは、いくつもあります。
自分の時間。友人と会う予定。何気ない休日。そして、匿名でいられる自由。
それを全部引き受けたうえで、名前は出ない。
あの選挙を、やった人ごとに書き出すと、こうなります。
- 選挙人名簿を書き写した人 ── 妻
- ハガキの宛名を書いた人 ── 妻
- 毎朝、僕を起こした人 ── 妻
- 反対側の出口に立った人 ── 妻
- 子どもたちのごはんを作った人 ── 妻
- 息子の薬を切らさなかった人 ── 妻
- ポスターを貼った人 ── 業者さん
- 名前が載った人 ── 僕
これが、僕の選挙です。
内助の功、という言葉について
内助の功、という言葉があります。
古い言葉です。最近はあまり使われません。使うと、時代遅れだと言われることもあります。
それでも僕は、この言葉を使いたいと思っています。
妻がやってきたことに、名前をつけたいからです。
名前のないものは、なかったことになります。
記録に残らないものは、数えられません。
数えられないものは、制度の対象になりません。
うちの選対本部長には、給料が出ていません。
肩書きもありません。
労働時間も記録されていません。
だから僕は、はっきり書いておきたいんです。
僕がいま議員でいられるのは、僕の力ではありません。
内助の功です。
そう呼ぶしかないものが、うちの家には確かにあります。
妻は、報われていません
妻は、頑張りました。いまも頑張っています。
そのことで妻が何かを得たかというと、たぶん、何も得ていません。
給料は出ません。表彰もされません。記録にも残りません。
議員として名前が出るのは僕です。頭を下げられるのも僕です。
代わりに立った日のことは、どこにも記録されません。
頑張った人が、報われていない。
僕はそれを、遠い社会問題としてではなく、自分の家の中で毎日見ています。
そして、もうひとつ。
妻がいま頑張れているのは、たまたま倒れていないからです。
体を壊す日が来るかもしれません。心が折れる日が来るかもしれません。
あの半年の付き添いのどこかで、そうなっていた可能性だってあります。
毎朝、暗いうちに起きる生活のどこかで、そうなっていた可能性だってあります。
そのとき「頑張りが足りなかった」と言われる社会だとしたら、僕はその社会を信用できません。
頑張れなくなる日は、誰にでも来ます。
これは、誰かを甘やかす話ではありません。
自分と家族のための、保険の話です。
目指しているのは、この二つです
頑張っている人が、報われる社会。
頑張っていなくても、幸せに生活できる社会。
一つ目だけだと、転んだ人が置き去りになります。
二つ目だけだと、頑張っている人が報われません。
両方あって、はじめて、人は安心して頑張れます。
うちの妻は、報われていません。
でも、報われる仕組みをつくることはできます。
それが、僕の仕事です。
最後に
朝霞にも、同じような家がいくつもあると思います。
誰かが全部を引き受けて、そのおかげで、もう一人が外に出ていける。
引き受けている側は、たいてい何も言いません。
言わないから、いないことにされます。
数えられることも、名前が残ることもありません。
僕は、その人たちのことを忘れたくありません。
うちにも、その人がいるからです。
「頑張ってください」とは言いません。もう十分に頑張っているからです。
代わりに、こう言わせてください。
背負っているものを、こちらに渡してください。
頑張っている人が、報われるように。
そして、頑張れなくなった日も、ちゃんと暮らしていけるように。
制度をつくるのは、そのためです。
この文章は、出す前に妻に読んでもらうつもりです。
直せと言われたら、直します。
消せと言われたら、消します。
たぶん、恥ずかしいからやめて、と言われる気がしています。
それでも、一度は読んでもらいます。
面と向かって言えないことを、文章にして渡すというのは、卑怯なやり方かもしれません。
でも、十何年ぶりに、ちゃんとお礼を言うことになると思います。
朝の駅前に立っていると、たまに手を振ってくれる方がいます。
ほとんどの方は、通り過ぎていきます。
それでも、僕はそこに立ちます。
あの夜、僕は逃げようとしました。
逃げるなと言った人が、いまも家にいます。
そして、その人は、いまも僕より先に起きています。
だから、逃げません。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
もう一本は、この話の「はじまり」です
ここまで読んでくださった方へ。
なぜ僕が、勝てる見込みのない選挙に出ようとしたのか。
そもそも、なぜ政治だったのか。
その理由は、生まれたばかりの息子にかかってきた、一本の電話から始まります。
