ふるさと朝霞の歴史(10)朝霞市の誕生
これは2020年3月に朝霞市が出したお知らせです。 日程や金額、制度の内容はその後変わっている場合があります。 いまの情報は下の出典リンクからご確認ください。
「ふるさと朝霞の歴史」シリーズ第10回。膝折村が朝霞町、さらに朝霞市へと変わっていった経緯をまとめたものです。
朝霞市の歴史や成り立ちに興味がある人向け
昭和7年(1932年)、東京ゴルフ倶楽部の移転を機に膝折村が町制施行し、朝霞町となりました。「朝霞」という名前がついたのもこの年です。
戦時中には陸軍予科士官学校や被服廠などの軍事施設が市内に移転し、昭和20年(1945年)の終戦後はアメリカ軍が進駐してキャンプ朝霞がつくられ、約30年間「基地の町」として歩みました。昭和35年(1960年)に自衛隊が駐屯し、基地返還要求運動を経て昭和49年(1974年)にキャンプ朝霞のほとんどが日本に返還されました。その跡地には小・中学校、公民館、図書館、体育館、陸上競技場などの公共施設が整備され、令和2年(2020年)2月にはシンボルロードも整備されました。
高度経済成長期には東京のベッドタウンとして都市化が進み人口が急増しましたが、昭和48年(1973年)の石油ショック以降は増加が緩やかになっています(それでも令和2年時点で増加傾向自体は続いています)。
昭和42年(1967年)3月15日、県下27番目の市として市制施行し、朝霞市となりました。当時5万6千人余りだった人口は、令和2年(2020年)3月現在で約14万2千人弱になっています。平成29年(2017年)には市制施行50周年を迎えました。
鉄道では昭和48年(1973年)に武蔵野線北朝霞駅、翌年に東武東上線朝霞台駅が開設されて乗換駅となり、周辺地域の発展に影響しました。近年は東武東上線への複数路線の相互乗り入れも始まっています。
昭和59年(1984年)に始まった市民まつりは、平成7年(1995年)から「彩夏祭」と呼ばれ、朝霞の夏を彩るイベントとなっています。
現在は「むさしのフロントあさか」をキャッチフレーズにしています。
このメモは、朝霞市公式サイトの発表内容をもとに作成しています。詳細・最新の正確な情報は市公式ページでご確認ください。
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