川越街道と、そのなかの膝折
川越街道は、江戸(中山道・板橋宿)と川越城下を結ぶ街道です。川越藩の参勤交代の道であり、江戸へ野菜を運ぶ道でもありました。
膝折宿は、白子宿(現在の和光市)と大和田宿(現在の新座市)のあいだに置かれた宿場です。人と馬を次の宿場へ継ぎ送る「継立(つぎたて)」を担い、旅人が休む場所でもありました。
「膝折」という名の由来
この地名の由来として、ふたつの言い伝えがあります。
ひとつは、馬の伝説です。追われて逃げてきた武将の馬が、この地で力尽き、膝を折って倒れた ― そこから「膝折」と呼ばれるようになった、というものです。
もうひとつは、落ち延びてきた人々がこの地を開墾したという伝承です。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも、こうした言い伝えが記されているとされます。
いずれも伝承であり、どちらが正しいと確かめられているわけではありません。地名の由来とは、たいていそういうものです。
伝承の扱いについて
このページでは、言い伝えを「事実」としては書いていません。地元に語り継がれてきた話として紹介しています。原典にあたった記述は、確認でき次第あらためて追記します。
宿場を支えた人びとの負担
宿場は、にぎわいだけの場所ではありませんでした。
参勤交代の行列や物資の輸送があるたび、宿場は人足と馬を出さなければなりません。宿場だけでは足りず、周辺の村々にも「助郷(すけごう)」として負担が課されました。
この負担は重く、周辺の村との間でたびたび争いのもとにもなったと伝えられています。街道のにぎわいの裏には、それを支える人びとの労苦がありました。
いま残っているもの
旧川越街道は、いまも膝折町を通る道として残っています。
街道沿いには、江戸期の建築と伝えられる建物や、古い社寺が点在します。ゆるやかな坂と、まっすぐでない道すじ。それ自体が、宿場町だった時代の名残です。
歩いてみると、20分ほどの短い区間です。けれども、そこが200年以上前に旅人が歩いた道だと思うと、少し見え方が変わります。