もともとの名は「膝折」だった
1932(昭和7)年より前、現在の朝霞市の中心部は「膝折(ひざおり)」と呼ばれていました。江戸時代には川越街道の宿場町として、明治以降は膝折村として、長くこの名で親しまれてきた土地です。
1914(大正3)年に東上鉄道(現在の東武東上線)が開通したとき、いまの朝霞駅の場所に置かれた駅の名も「膝折駅」でした。
つまり、この地の本来の名は膝折です。朝霞という名前は、後からやってきました。
ゴルフ場がやってきた
1930年代のはじめ、東京・駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部が、より広い土地を求めて膝折の地への移転を決めます。当時の膝折は、雑木林と畑が広がる土地でした。
このとき、地名について議論が起きたと伝えられています。「膝を折る」という字面が、スポーツの場としてふさわしくないのではないか、というものでした。
この話について
「膝折では縁起が悪い」という経緯は、地元で広く語り継がれてきた話です。ただし当時の議事や記録にどう残っているかは、現在『朝霞市史』で確認を進めています。確認でき次第、この記事を更新します。
朝香宮の名から、一字を変えて
東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁を務めていたのが、皇族の朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)でした。
新しい町名は、この「朝香」の名にちなむこととされました。ただし皇族の名をそのまま用いることは畏れ多いとして、「香」の字を「霞」に改め、「朝霞」としたと伝えられています。
1932(昭和7)年5月1日、町制施行にあわせて膝折村は朝霞町となりました。その数日後、膝折駅も朝霞駅へと改称されています。
消えた名前と、残った名前
自治体の名としての「膝折」は、このとき姿を消しました。
けれども、地名としては生き続けています。現在の朝霞市膝折町(1丁目〜5丁目)がそれです。市民センターや児童館にも「膝折」「ひざおり」の名が使われています。
朝霞という新しい名と、膝折という古い名。そのふたつが、いまも同じまちの中に並んで残っています。