ふるさと朝霞の歴史(2)稲作のはじまり
これは2020年3月に朝霞市が出したお知らせです。 日程や金額、制度の内容はその後変わっている場合があります。 いまの情報は下の出典リンクからご確認ください。
朝霞市内で稲作が始まった弥生時代の歴史を紹介するページ。河川沿いや岡・根岸台にできた集落の様子、出土品、有力者の登場までがわかる。
朝霞市の歴史、特に弥生時代の遺跡や出土品に関心がある人向け。
約2400年前、九州で始まった稲作は、鉄器・青銅器とともに中国・朝鮮半島を経由して伝わり、日本全国に広がって狩猟・採集中心の生活を稲作中心へと変えました。
朝霞市内にも稲作が伝わり、河川沿いの土地や谷が水田として使われ、岡や根岸台には大きな集落ができました。この集落では弥生土器や多彩な石器、当時貴重だった鉄製品が使われ、周辺の中心的な集落だったとみられています(浜崎出土の弥生土器、岡出土の鉄斧・石斧など)。
集落では水の管理などの共同作業が行われる一方、土地や水をめぐる集落同士の争いも起こりました。こうした中で集落を指揮する有力者が現れ、死後は方形周溝墓に金属器などの貴重品とともに埋葬されたことから、集落内に格差が生まれていたと考えられています。朝霞市内でも方形周溝墓が確認されており(宮戸の方形周溝墓、岡出土の銅釧など)、有力者の存在がわかっています。
このメモは、朝霞市公式サイトの発表内容をもとに作成しています。詳細・最新の正確な情報は市公式ページでご確認ください。
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