発展しているようで、まったく変わっていない。
「面倒くさい」の底に沈んでいたもの――設定だらけの世界と、デジタルの住所の話
パソコンやサーバーを触っていると、いつも同じ感想にたどり着く。
「なんでこんなに設定ばかりなんだ」
Webサイトを暗号化する(httpsにする)だけで設定ファイルに何十行も書かされる。暗号方式の名前を並べ、証明書の置き場所を指定し、数年前のコピペ設定が今は非推奨、なんてことも起きる。メールサーバーを立てようとすれば、聞いたこともない略語――SPFだのDKIMだのDMARCだの――をDNSに並べる羽目になる。しかもそのどれもが、何十年も前からある「枯れた技術」だ。新しくて難しいならまだ諦めもつく。古くて、みんなが毎日使っていて、それでも難しい。ここに僕はずっと引っかかっていた。
普通、技術は枯れれば枯れるほど簡単になる。車のエンジンのかけ方が年々複雑になったりはしない。なのにインターネットの土台まわりは、枯れているのに一向に簡単にならない。この違和感が、今日の出発点だ。
今日はその「面倒くささ」を入口にして、その底に何が沈んでいるのかを掘ってみたい。掘っていくと、これは技術の話ではなくなる。最後は「デジタル時代に、僕らの住所を誰が保証するのか」という、かなり大きな話につながっていた。
暗号化は、もう「勝手にかかるもの」になった
まず希望のある話から。
サイトの暗号化(SSL/TLS)は、実はもう「意識しなくていいもの」になりつつある。昔はこれが特別な作業だった。証明書を取って、更新して、設定ファイルに暗号方式を書き込んで……という手間の塊。でも今は、たとえばCaddyというソフトを使えば、設定はほぼ「ドメイン名を一行書く」だけで済む。証明書の取得も更新も、全部裏で勝手にやってくれる。
さらに言えば、最新の通信規格(HTTP/3)では暗号化が最初からプロトコルに組み込まれている。「後から暗号をかぶせる」のではなく、暗号化されていない通信という選択肢がそもそも存在しない。つまり「SSL化」という作業は、概念ごと消えかけている。
これは大事なポイントだ。暗号化という面倒は、技術の進歩でちゃんと消せた。「意識させない」を実現できた。じゃあ、他の面倒も全部同じように消えるのか?
消えないものがあった。ここからが本題だ。
無料SSLは、あなたが誰かを証明していない
無料でSSL証明書が取れる時代になった。ここで面白いことに気づく。無料の証明書を取るとき、身分証明書は一切いらない。会社の登記も、免許証も、何も出さない。
では証明書は何を確認しているのか。「あなたがこのドメインを操作できるか」――ただそれだけだ。そのサーバーにファイルを置ける、という支配権の確認であって、「あなたが実在の誰々さんか」はまったく見ていない。
だから詐欺サイトでも、鍵マークは普通に付く。鍵マークは「安全なサイト」の意味ではなく、「通信が盗み見されていないサイト」でしかない。多くの人がここを誤解している。
ここで、面倒くささが二つに割れる。
暗号化(通信を隠す)→ 自動化できた。もうすぐ意識しなくてよくなる。
身元の証明(あなたが誰か)→ ここは自動化できない。人が確認するしかない。
有料の証明書が高いのは、この「身元の裏取り」を人力でやっているからだ。登記簿を確認し、電話をかけ、実在を確かめる。機械には代われない。
暗号は消える。でも「あなたは誰か」だけは、誰かが答え続けないといけない。この非対称が、今日の話の背骨になる。
メールは、性善説で作られた最古のインフラ
話をメールに移す。僕が一番「面倒だ」と感じてきた領域だ。
メールの基本ルール(SMTP)は1982年に生まれた。今も現役で動いている、たぶん最古級のプロトコルだ。そしてこれが、驚くほど牧歌的な性善説で作られている。送信者は自己申告で名乗れる。だからなりすましし放題。インターネットが「信頼できる研究者同士の村」だった時代の設計を、詐欺師もスパム業者もいる今の世界で無理やり延命している。
僕らが格闘させられるSPF・DKIM・DMARCという呪文は、全部この性善説への後付けパッチだ。古い土台に、なりすまし対策の絆創膏を何枚も貼り重ねた結果が、あの複雑さの正体だった。枯れているのに難しいのは、枯れながらパッチが増えていったからだ。
しかもメールは、自分で立てても「届かない」。家庭の回線からGmailに送ると、高確率でスパム扱いされる。技術的に完璧に設定しても、送信元IPの信用がゼロからは上がらない。一番大事な「届く」が、個人には構造的にきつい。
じゃあメールは古くて劣った道具かというと、そう単純でもない。ここが面白いところだ。
なぜ「古いメール」は死なないのか
メールが滅びない理由は三つある。そしてこの三つが、僕が政治で考えていることと綺麗に重なる。
一つ、非中央集権。管理者がいない。誰の許可もなく「自分のドメインの住所」を持てる。LINEもSlackも、運営会社が消えたら終わる。メールは仕様さえ生きていれば、誰にも止められない。
二つ、相互運用。Gmailから別の会社のメールへ、事業者をまたいで必ず届く。この「会社が違っても届く」を満たす代替が、実は今も存在しない。
三つ、記録性・公式性。だから行政も契約も認証も、今なおメールを使う。「送った証拠が残り、特定の会社に依存しない」がむしろ制度と相性がいい。
便利さの競争では、新しいアプリがメールに勝つ。でも「誰にも止められない、事業者をまたぐ連絡手段」としては、メールにまだ後継者がいない。ここでもさっきの非対称が顔を出す。便利さは新しいものが担える。でも非中央集権と身元だけは、古いものが守っている。
日本は一度、「当たり前のメール」を実現していた
ここで、日本人ならではの感覚に触れておきたい。
僕らはかつて、キャリアメールというものを持っていた。携帯を契約すれば、@docomo.ne.jp のようなアドレスが最初から付いてきた。回線を引く=メールアドレスが付いてくる。家を借りたらトイレが付いてくるのと同じ感覚だ。設定も何もいらない。使えて当たり前だった。
つまり日本は、「メールは生活の基本設備」という状態を、一度は実現していたのだ。
でもあれが成立していたのは、キャリアという大きな主体が、裏で全部やってくれていたからだ。なりすまし対策も、配送も、面倒な設定も、全部キャリアが隠していた。ユーザーは何も意識しなかった。僕がこの記事で「理想」と呼んでいる状態を、ガラケー時代の日本は先取りしていた。
ところが今、僕らはそこから後退している。自分の名前でメールを持とうとした瞬間、急にDNSと格闘させられる。キャリアメールは回線に縛られていて、乗り換えると消える――引っ越すと使えなくなる、備え付けのトイレのようなものだ。無料のフリーメールは便利だが、それは大きな会社に間借りした住所で、その会社が方針を変えれば揺らぐ。
「基本設備」だったものが、自分で主権を持とうとした瞬間に専門知識を要求する。この後退が、僕の苛立ちの正体だった。トイレも風呂も、持ち家だろうが賃貸だろうが当たり前に付いてくる。なのにメールだけ、「自分の名前で持つ」には工事の知識が要る。おかしいと思う。
「住所にお金がかかる」のは、実は変じゃない
途中、僕はこうも思った。「独自ドメインは有料だから、根本解決にならない。届け先の住所が有料なんて、現実世界にはない」と。
でも、これは考え直した。現実にも、届け先にはちゃんとコストがかかっている。電話番号はキャリアに払って保有している。私書箱は郵便局に借りる。家の住所は一見タダに見えるが、その住所が指す不動産に僕らは払っている。住所そのものは無料でも、その住所が張り付く「場所を占有すること」は有料なのだ。
「世界でただ一つの名前・場所を占有する」には、必ずコストがかかる。これは物理でもネットでも同じだ。ドメイン名が年1000円ちょっとかかるのは、地球上でその名前が竜二ひとりのもの、という一意性を誰かが管理し続けているからだ。だからドメイン代は、僕はむしろ払っていいと思っている。それは「事業者に依存しない、自分だけの、誰にも止められない身元」の値段だからだ。
引っかかっていたのは、そこではなかった。メールを独自ドメインで使うために、月800円のソフト利用料を別途取られる――そこがモヤっていた。身元(ドメイン)の対価ならわかる。でも送受信の仕組みそのものは、本来もっと安く、あるいは無料でいいはずだ。実際、受信だけなら無料で独自ドメインメールを転送する方法もある。払っていいものと、抱き合わせで取られているものを、僕らは切り分けたほうがいい。
「知らない人に手紙を送れる」ということ
ここで、今日たどり着いた一番大事な区別を書く。
現実世界では、住所さえ分かれば、面識のない人にも手紙を送れる。相手の許可はいらない。一方、LINEやSNSは違う。友だち追加やフォローという「知り合いになる」手続きを経ないと、何も届けられない。
この二つは、まったくの別物だ。
手紙・メール型=許可がいらない。相手の住所さえ知れば、承諾なしで届く。「公道」。
SNS型=相互承認が前提。知り合いにならないと送れない。「会員制クラブ」。
現代のサービスは、こぞって後者に流れた。理由は明快で、前者はスパムが来るからだ。開かれている=誰でも送れる=迷惑メールの温床。だから各社「知り合い限定」に閉じることで、快適さを守った。その代わり「見知らぬ相手に届く」という開放性を捨てた。
僕が本当に解きたいのは、前者のほうだ。面識のない相手に、承諾なしで、確実に届く。でもスパムだらけにはならない。そういう開かれた到達手段。メールはこれを目指して、スパムで破綻した。SNSは知り合い限定にして開放性を捨てた。両方を満たしたものが、まだ世界に無い。
現実の「住所」は、なぜ機能しているのか
答えのヒントは、現実の住所にある。
見知らぬ相手に手紙が届くのは、賢い技術のおかげではない。自治体が住所を一意に管理し、公が保証しているからだ。加えて、送るには切手代と手間がかかる(無制限のスパムは割に合わない)。悪質なら追跡もできる。
メールが壊れたのは、この全部を捨てたからだ。タダ・匿名・無責任で送れるようにした結果、スパムが勝った。
つまり「知らない人にも届く」を成立させていたのは、技術ではなく制度だった。誰かが標準を決め、インフラを敷き、責任を持って維持する。「意識しなくていい」の裏には、必ず「意識して支えている主体」がいる。水道の蛇口をひねれば水が出るのは、水道局があるからだ。
デジタルの世界に、その水道局に当たる主体がいない。だからメールは、生活の基本設備であるべきなのに、いまだに「分かる人にしか扱えない」ままなのだ。
これは「整備」ではなく「選択」の問題だった
ここまで来て、僕は自分の願いの形が少し違っていたことに気づいた。
「頭のいい人が、この面倒を整備してくれないか」――ずっとそう思っていた。でも、これは天才が足りない問題ではなかった。世界最高の技術者たちが何十年も挑んで、そのたびに跳ね返されてきた領域だった。詰まったのはいつも技術ではなく、「誰が公的に保証するのか」「どうやって全員に同じものを使わせるのか」という、制度と合意の側だった。
そして、もっと厳しい事実がある。「承諾なしで届く」「スパムを弾く」「匿名でいられる」――この三つは、原理的に同時には満たせない。
スパムを完全に消すには、誰が送ったか常に特定できないといけない。=匿名が消える。
匿名を守れば、なりすましもスパムも可能になる。
メールは「開放性と匿名性」を取って安全性を失った。SNSは「安全性と匿名性」を取って開放性を捨てた。全員実名の監視型ネットは「開放性と安全性」を取って匿名(自由)を捨てた。どれを選んでも、何か一つを失う。
だからこの問題は、整備できない。選択しかできない。何を守り、何の不便を受け入れるか。それを決めるのは技術者ではなく、社会だ。そして社会の選択を預かるのが、政治だと思う。
全員の身元を確実に把握すれば、スパムもなりすましも消える。中国のインターネットは、ある意味その解の一つだ。実名で全部を紐付ければ、確かに素性は保証される。でも誰もそれを「解決」とは呼びたくない。監視と引き換えだからだ。「インターネットの良さがなくなるかもしれない」――僕が途中でふと感じたこの直感は、たぶん正しい。開かれた到達可能性を"完全に安全に"しようとすると、その代償として匿名や自由という、インターネットの魂を差し出すことになる。
救いがあるとすれば、僕らは既に一度、似たものを実現している。世界政府はないのに、ドメイン名もIPアドレスも、全世界でただ一つに管理されている。各国がそれぞれ自国の住所を管理し、国をまたぐ時のルールだけを緩く合わせる――現実の郵便もそうやって回っている。完全な統一政府がなくても、"各自の自治+最小限の相互接続の合意"で、人類は「見知らぬ相手に届く」を一度は形にしてきた。だから絶望する話ではない。設計図の断片は、もう歴史の中にある。
「たかがメール」から始まった話
設定だらけの面倒くささへの愚痴から始めて、ずいぶん遠くまで来てしまった。
でも僕は、この「面倒くさい」を軽く見たくない。トイレや風呂が当たり前にあるように、デジタルの基本設備――身元と連絡手段――も、本来は誰もが意識せず使えるべきものだ。それがそうなっていないのは、支える公的な主体が、歴史的にいなかったからだ。
技術的な面倒は、賢い誰かがどんどん消してくれる。暗号化はもう消えかけている。でも「デジタル時代の住所を、誰がどう保証するか」は、コードでは解けない。標準と制度と、社会の選択でしか解けない。
僕にその答えが出せるわけではない。ただ、「頭のいい人待ち」で終わらせるにはもったいない問いだ、とは思う。答えの半分は、たぶん技術の側ではなく、制度を考える側にある。だとしたら、それは僕がいる場所に近い。
いきなり国家のインフラを構想する話ではない。もっと小さくていい。たとえば、見知らぬ有権者が、面識のない議員に承諾なしで届けられる。でも荒らしや誹謗は責任の所在で弾ける。そんな「開かれているが無責任ではない到達手段」を、小さな範囲で作ってみることはできる。そこで手応えが掴めれば、いつか公共の話につなげられるかもしれない。大きな問いは、たいてい小さな実装から始まる。
「たかがメール」が、実は「デジタルの水道をどう敷くか」の話だった。今日、面倒くささの底まで降りてみて、そこにあったのはそういう問いだった。
ダウンロード
copy ## いいなと思ったら応援しよう!
チップで応援する
この記事はnoteに投稿された記事です。
元の記事をnoteで読む →