基地の時代
1945(昭和20)年の終戦後、旧陸軍予科士官学校をはじめとする朝霞の施設は連合国軍に接収されました。この基地は「キャンプ・ドレイク」と呼ばれます。
基地の存在は、まちの姿を大きく変えました。人の流れ、経済、そして日々の暮らし。朝霞は長い間、基地とともにあるまちでした。
このページの立場
基地の存在について、良かった・悪かったという評価はここでは書きません。何がいつ起き、いま何が残っているのか。事実の記録に徹しています。
返還と、跡地をどうするかという長い議論
基地の返還後、広大な跡地をどう使うかは、朝霞市にとって長年の課題であり続けました。
2004(平成16)年11月にキャンプ朝霞跡地利用計画策定委員会が発足し、2005年には基地跡地シンポジウム、市民懇談会が開かれました。2006年には基本方針の中間報告が、2007年12月には整備計画書が市に提出され、2008年5月には利用計画書が国へ提出されています。
2011年には、公務員宿舎の整備事業をめぐって、再開・凍結・中止と方針が揺れ、市から要望書が出される事態にもなりました。
2015(平成27)年12月には、跡地利用計画の見直しが行われています。
「朝霞の森」ができるまで
2012(平成24)年11月、基地跡地の暫定利用広場として「朝霞の森」がオープンしました。
「暫定利用」という言葉のとおり、これは最終的な姿ではありません。けれども、長く閉ざされていた土地に市民が入れるようになった、という意味で大きな出来事でした。
禁止事項を極力減らし、利用者が自分たちで使い方を考える場として運営されているのも、この広場の特徴です。
跡地は、いまも「これから」の土地
基地跡地の活用は、いまも続く行政課題です。何をどこに置くのか、誰が決めるのか、財源をどうするのか。
この土地の歴史を知ることは、これからの朝霞を考えることと、そのままつながっています。