ふるさと朝霞の歴史(7)鷹場と川越街道
これは2020年3月に朝霞市が出したお知らせです。 日程や金額、制度の内容はその後変わっている場合があります。 いまの情報は下の出典リンクからご確認ください。
朝霞市の歴史解説シリーズ第7回。江戸時代、朝霞周辺が幕府領・旗本領として支配され、将軍や尾張藩の鷹場が置かれていたことや、川越街道の宿場・膝折宿の様子を紹介している。
朝霞の郷土史・江戸時代の地域の成り立ちに関心がある人向け
江戸時代、朝霞周辺は幕府領(天領)と旗本領に分かれて支配されました。旗本は自分の知行地に陣屋を築きましたが、江戸の屋敷に住むようになると村々との交流は薄れ、天領は幕府の代官がまとめて支配しました。
朝霞周辺には将軍が鷹狩りを行う御拳場と尾張藩の鷹場が置かれ、鷹場の村には様々な規制がかかり負担となりました。台村・根岸村・岡村は御拳場、膝折村・溝沼村・浜崎村・田島村・宮戸村・上内間木村・下内間木村は尾張藩の鷹場となり、境界を示す杭が建てられました(浜崎氷川神社に一部が現存)。
朝霞は広大な林野(秣場)を持つ自然豊かな土地で、薪や肥料・建材の供給源として村で共同利用されていましたが、新田開発が進むと秣場は田畑に変わり、利用を巡って村同士の争いも起きました。
また、江戸と川越を結ぶ川越街道が中山道の脇往還として整備され、現在の膝折町に江戸から4番目の宿場・膝折宿が置かれました。交通量の増加とともに宿場や助郷の村々の負担は重くなり、争いの元にもなりました。
現在の根岸台地区にあった根岸村・台村は、新河岸川の舟運を使って江戸へ野菜を出荷するなど、江戸近郊の農村として発展しました。根岸台2丁目の「旧高橋家住宅」は江戸時代中期に建てられた平均的な農家で、国指定重要文化財に指定されています。
このメモは、朝霞市公式サイトの発表内容をもとに作成しています。詳細・最新の正確な情報は市公式ページでご確認ください。
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